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寝ながら旅行記
グーグルのストリートビューを使った妄想旅行日記。
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ブログの説明
○グーグルのストリートビューを使った、妄想的旅行日記です。決して、現実に行った訳ではありません。

○「綺麗です」とか「感動します」という表現は、ストリートビューで見た感想です。

○「○時間かかります」というのは、時刻検索サイトを頼りに想定しています。

○ホテルとか食事は、旅行サイトで選んで妄想してます。

○写真は著作権フリーの写真集より、拝借しています。

○☆はストリートビューで入れます。  △はわずかに見える。
 〇は道路から見える。        ●はあと少しなのに見えない。
 ◇は実際に行った。

※旅行に興味がない人は、こちらのブログを見てください。
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終了
体調不良のため、ブログ更新を終了します。
今まで、ありがとうございました。
インドの旅②
アーグラはインド北部の都市。ムガール朝時代の古都です。 ガンジス川最大の支流であるヤムナー川沿いに位置する都市で、古代より交通の要所として発展しました.。
タージ・マハル

タージ・マハル。1654年、ムガル朝第5代皇帝シャー・ジャハーンによって建てられました。しばしば「白亜の宮殿」と称されますが、宮殿ではなく、彼の愛妻ムムターズ・マハルの「お墓」です。タージマハルはインド内でも人気があるのはもちろんのこと、世界遺産ランキングでも上位にあがる有名な観光地です。

アーグラ城。1565~1573年にかけてムガル朝第3代皇帝アクバルによって建てられ、1世紀後に第6代皇帝アウラングセーブが外郭を造って濠をめぐらせました。内部はジャハーンギール廟を除き、ほとんどがタージ・マハルを立てたシャー・ジャハーンによって造営されました。

ファテープル・シークリー。「ファテープル・シークリー」とは勝利の都シークリーという意味である。台地の上に建設されており、中心部は、宮廷地区とモスク地区とに分けられている。ほとんどの建築物が赤砂岩によって建設された、土着の建築文化とイスラーム建築の融合がなされた都市遺跡である。

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インドの旅①
デリーはインドの都市。この都市は、はるか昔から存在した歴史的な都でもあります。現在ではインド共和国の首都として、その政治と経済を担い、州と同格に扱われる連邦直轄領に位置づけられています。

道路は見られないので、名所にクリックします。

フマーユーン廟。デリー南西のヤムナー川沿いに位置する、インドで最初に建てられたペルシャ系イスラム建築様式の墓廟。インドを代表する有名な「タージ・マハル」の建築様式に影響を与えたといわれています。 その歴史はムガル帝国時代に遡り、第二代皇帝フマユーンの妃が1565年に建立しました。
赤い城

赤い城。タージ・マハルを築いたことで有名なムガル帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが、自らの名を冠した都シャー・ジャハーナバード(現在のオールドデリー)を造営するための要塞として1638年に建設を始め、10年の歳月をかけて完成しました。 赤砂岩でできているため、ラール(=赤い)・キラー(=城)と呼ばれています。

☆ジャマー・マスジット。オールドデリーにあるインド最大のモスクです。シャー・ジャハーンが最後に手がけたもので、1644年に着工され、1658年に完成しました。中庭の最大収容人数は2万5000人。高さ40mの尖塔(ミナレット)を持ち、赤砂岩と白大理石のコントラストが非常に美しいモスクです。

クトゥブ・ミナール。ニューデリーより南へ約15kmの郊外にそびえるインド最大のミナレット(塔)。1993年にクトゥブ・ミナールとその建造物群は世界遺産に登録されました。高さ72.5mの五層から成る塔で、外壁にはコーランの文句を図案化した彫刻が刻まれています。
フィンランドの旅
ヘルシンキはフィンランドの首都。バルト海に面しており、多島海のヘルシンキ湾が美しい海岸線を形作っている。別名、「バルト海の乙女」。街自体は約450年の歴史を持っている。現在のような街の骨格ができたのは19世紀半ばであり、その頃起こった大火がきっかけとなった。

ヘルシンキ大聖堂。真っ白な壁と緑色のドーム屋根が印象的な、ヘルシンキのシンボル。内部はロシア正教の聖堂などに見られるような、華美な装飾がほとんどなくすっきりした広いドーム空間になっており、どことなく北欧のシンプルな色使いの陶磁器を思わせる。
ヘルシンキ大聖堂

〇ウスペンスキー教会。マーケット広場や元老院広場からもその赤レンガの外観が目にとまる、ロシア正教の教会。正教の教会らしく、内部の装飾も見事で、訪れる信徒の敬虔な態度も印象的。

テンペリアウキオ教会。フィンランドの南部・西部は岩だらけの大地。そうした岩山に埋もれたように作られた教会。福音ルーテル派(フィンランドで最も信徒が多い)の教会なので結婚式がよく行われたり、岩盤に囲まれ音響効果にすぐれるため音楽イベントが行われたりする。

〇フィンランド国立博物館。先史時代から近代までの幅広い時代の文物を展示している。中でも中世の教会関連の彫像や祭壇などのコレクションが見応えあり。博物館自体も元々教会だった建物を使用している。建物の広さの割に展示物が多く、興味深いものも多い。
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スウェーデンの旅
スウェーデンの首都であるストックホルムは、スカンジナビア諸国で最多の人口を誇る街。市の面積の13%を水面が占めており、市の中心部にもリッダー湾や運河をはじめとする水部が入り組んでいる。市民たちはこの美しい光景を愛し、この町並みは北欧のヴェニスと称えられるほど。
ストックホルム
市庁舎。中央駅から徒歩約5分のところにある煉瓦色の建物。建築家ラグナル・エストベリの設計により、1911年に建設が開始され、1923年に完成した。毎年12月10日に開かれるノーベル賞授賞祝賀晩餐会の会場として有名。

王宮。ガムラ・スタンの北東に建つ、13世紀に建てられた建物。ストックホルム宮殿と表記しているものもある。1697年の火災で全焼し、1754年に再建が完了した。王族の居室は約600室あり、一部が一般公開されている。

〇大聖堂。王宮のすぐ南にある教会。13世紀後半に建てられた。国王の戴冠式などの王室関連行事がここで行われている。

〇ノーベル博物館。ノーベル賞100周年を記念して、2001年に開館した博物館。建物はかつて証券取引所として使われた。ノーベル賞に関する展示をしている。英語のガイドツアーを毎日催行している。
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ペルーの旅②
アレキパは、海抜2,350mの高原地帯に位置する、ペルーの都市。街にある建物の多くが街の周辺から産出される白い色をした"シヤール"と呼ばれる火山岩で造られており、このためアレキパは「白い街」という別名で呼ばれる。

〇カテドラル。アルマス広場の横に建っており、その美しい姿から、アレキパを代表する建物として広く知られている。左右に長い形をしており、それに合わせて祭壇も入り口に対して横向きという、面白い形をしている。見学は無料。

〇アルマス広場。町の中心にある広場。"シヤール"と呼ばれる白色の火山岩で造られたカテドラルと回廊のような形の美しい建物に周囲を囲まれている。付近にはサンタ・カタリナ修道院などの主要な観光スポットや商店、レストランなどが集中しており、地元の人や観光客でいつも賑わっている。

〇サンタ・カタリナ修道院。400年以上の歴史を持つ修道院。現在修道士は居住しておらず、全体が博物館になっている。高い塀に囲まれた敷地に一歩踏み入れると、外の俗世間とは違った静寂な空間が広がっている。
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ペルーの旅①
ペルー は南米の国。南米大陸の西側面に位置し、南太平洋に面しており、南米の中央を走るアンデス山脈の一部がある。スペインに征服された歴史があるが、人口の大半は先住民である。日系人の上陸はブラジルより早い。

リマはペルーの首都で人口800万人が住む南米でも有数の大都市である。リマは1535年にスペイン人の征服者「フランシスコ・ピサロ」により建設され、ピサロによって滅亡させられたインカ帝国の首都クスコに変わり、スペインのペルーの植民地支配の中心都市として発展してきた。

〇サンマルティン広場。ラ・ウニオン通りを挟んでアルマス広場の向かい側にある広場で、街歩きの起点にもなる場所広場の周りにはコロニアル調の建物などが多数建ち並んでいる。

〇カテドラル。1535年1月18日にスペイン人征服者フランシスコ・ピサロが自ら礎石を置いたという話は有名だが、建設当時はただの小さな教会に過ぎなかった。リマは過去幾度もの大地震に見舞われており、その度にこのカテドラルも増改築が繰り返された。現在カテドラルにそびえている2つの鐘楼が完成したのは1898年。

△サンフランシスコ教会。ペルー政庁から1ブロックほど東にある教会。1万体ほどの遺骨が安置されたカタコンベ(地下墳墓)があることで有名。教会内は、自由には見学できず、博物館とカタコンベへのツアーガイドのみ受け付けている。

☆ワカ・ワヤマルカ。新市街のサン・イシドロ地区にあるピラミッド型の遺跡。東京でいったらさしずめ麻布あたりの、高級住宅や各国の大使館が建ち並ぶ一画にある。ピラミッドの頂上に登って発掘現場の様子を見ることができる。
チリの旅
チリは南米の太平洋に面する国。南北に細長く、北部は熱帯で暑く、南部は低温(プンタアレナスは夏でも15度)。日本への輸出品はワイン、海産物(ウニ、アワビ、サーモン)。

サンティアゴは、標高520m、人口600万人の大都会。1541年2月12日にスペイン人の征服者ペドロ・デ・バルディビア によりサンティアゴ・デ・ヌエバ・エクストレマドゥーラ市として建設された。独立戦争後、サンティアゴは正式にチリの首都に指名された。

〇サンティアゴ大聖堂。1558年に建てられたサンティアゴ大聖堂は、チリにおけるカトリックの総本山。内部装飾がみごと。休日には現地の人々が祈りを捧げる。軍事政権のころは、軍事政権に抗議する集会が秘密裏に行われていた。

〇モネダ宮殿。チリ大統領の官邸。着工は1784年で、1805年に完成した、1845年から大統領官邸として使われるようになる。1973年に起きたクーデターの舞台になった。宮殿の地下はモネダ宮殿文化センターになっており、無料や有料の展示を行っている。

〇サンフランシスコ教会。旧市街中心部、大通りに面して建つ教会。1572年に建設が始まり、1618年に完成した。サンティアゴ大聖堂と比べてシンプルな内部装飾。

〇サンクリストバルの丘。旧市街と新市街の中間にある丘。頂上にあるマリア像は高さが14mあり、1908年に完成した。サンティアゴ動物園、日本庭園などがある。旧市街方面からはケーブルカーで、新市街方面からはロープウェー(2013年6月現在運休中)で登ることができる。
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チェコの旅②
チェスキー・クルムロフは、プラハから南へ180km、南ボヘミアに位置するヴルタヴァ川に囲まれた美しい町です。14世紀に、チェコの有力な貴族によって豪華なお城が建てられました。城下町にも、美しく装飾された歴史的な建物がそのまま残っており、町を散策していると、中世の世界にタイムスリップしてしまったかのような錯覚を覚えます。
クロムロフ城
名所などの情報はありません。城は山の上にあるので、市街地が一望できます。城から橋を渡ると美しい町並みがあります。統一広場にも寄ってみました。


オロモウツは、チェコの都市。モラヴィア地方の中部に属するチェコ第5の都市。プラハの次にチェコの重要文化遺産の一番高い密度を持っているのはあまり知られていない。街の中心部にあるオロモウツの聖三位一体柱は、ユネスコの世界遺産に登録されている。

聖三位一体柱。高さは35メートル、最上部には銅に金めっきをほどこした三位一体の像、その下には聖母の被昇天の像、その他聖人像やレリーフなどで飾られ、最下層には礼拝堂がある。

大きな時計塔のある市庁舎、聖モジツ教会を見ました。詳しい情報はありません。


プロフィール

でばねずみ

Author:でばねずみ
筋ジストロフィという難病で入院中の身です。
テレビやパソコンで知識欲を満たしています。
変化のない日々を過ごしているので、日記めいた記事は少なめです。

HP http://www.geocities.jp/domingo99jp

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